犬との暮らし①

 

我が家は犬を2匹飼っています。臆病で嫉妬心が強く内弁慶なエマと、メンタル強くて、マイペースなサラ。

サラは生後約3〜4ヶ月、エマは生後約6〜7ヶ月で我が家にやってきました。

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(こっちはエマ。べっぴんさん)

こちらでは、宗教上の理由や、生活様式、セキュリティー問題などもあり、犬はそれぞれの街を守る存在として飼い犬であっても基本放し飼い ( 家の中ではなく、外)が普通。ストリートドッグが割と普通にいます。

でも、ストリートドッグ≒ケアされていない子たち も多いために、皮膚病になっていたり、街中で走るバイクや車に轢かれて怪我をしていたり、飼い犬であっても飼い主が避妊手術をせず野放しなので、妊娠して子どもが生まれたら、捨てられたり、

ひどい時には、狂犬病が流行して、行政の指導のもと一斉に野犬狩りをして、町から犬を一掃したり、、、。

こういった事態を憂いている人たちが、非営利団体を立ち上げたり、個人的にボランティアをしたりして、ストリートドッグのケアをしたり、保護したりしているという現状です。

基本、街中でのペットショップというのはペットのエサやケアグッズを売るお店であって、ペット自体を売買するという目的で存在はしていません。

ローカルの市場、ブリーダーが売買をしているという実態はありますが、ローカル以外の人たちのいるインターネットコミュニティで犬のブリーダーが犬を売ったり、誰かが犬を買いたいなどと投稿すると、生活環境が悪く、保護を求めている犬たちがすぐ身の回りにいるのに、なぜそれを救わずに、犬を売買するのか、本当に犬を飼いたいのではなく、ファッションじゃないか、というような感じですぐに炎上します。

 

また、娘たちの通う学校では、子どもたちがいろいろな活動をし度々寄付を募り、学校周辺にいる野良犬や、野良猫などが劣悪な環境に身を置く事がないよう保護したり、避妊手術を施したりして、命を飼う事とはどういうことか教えられます。

 

子どもはペットを飼いたいという気持ちがとても強いですよね。我が家でももれなく娘たちが犬を買いたい、スクールで保護している猫を貰いたい、などと何度も懇願されました。

命の大切さを教えるという意味で、犬や猫を飼う事はとても学びになるし、我が家は泥棒に入られた事もあり、セキュリティ面でも犬を飼うというのは、一つの選択肢にあったのですが、ただ

我が家で犬を飼いたいという話になった時、問題はわたしたちがいつまでこの島にいられるのかがわからないということでした。

命なので、簡単に飼う、要らなくなったら捨てるというわけにはいきません。

ですので、最後まで飼えないのなら飼うべきではないという意見でずっと飼っていなかったのですが、

親としても、ストリートドッグの現状を見た上でも、色々な葛藤があり、

ストリートドッグをボランティアで保護している団体に連絡をして我が家の現状を話して、何かできることがないか聞いたところ、出来たら一時的にでもいいから、飼い犬との幸せな生活を感じさせてあげてほしい。人の温かさを知らずに過ごすよりも幸せだから、おすすめの子を連れて行くから、一度見てみてと言われて連れてこられたのがサラとエマでした。

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(これは、サラ。賢い)

 

サラは来た時には、皮膚病があって肌の所々、毛が抜けていて、継続してケアが必要、人を警戒しているから慣れにくいかも、また産まれて約3〜4ヶ月ということで避妊手術もしていないから、預かってもらうなら避妊手術をしますとの事。

 

施設の人のおすすめは少し大きくなっているエマ。エマはストリートで車に轢かれ、大怪我をしているところを助けられて一時は命も危うかったけれど無事に復活したので、とても甘えん坊で子どもがいる家庭にもいいのではないかという事でした。

 

 

 

今日は朝活時間内に書ききれなかったので、ここまで。

続きます。

朝活(今更ながらしてみよう)

昨日のこと。

朝8時半過ぎにリビングでのんびりしていたのだけど、南国なのでもう既に昼間の日差しが強くて、若干暑い。昼間の掃除なんて汗だらだらで、汗臭くなるのも一瞬。汗流すために終わったらシャワー。

それはそれで気持ちよかったりもするんだけど、ふと思い立って夫に、明日からもっと早起きして朝活しようよ、と言ってみたところ、いいよとの返事(いやって言われると思ってた)。

それなら朝6時から庭で一緒に瞑想できたらいいな、なんて考えていたら、ちょうどそのタイミングで仲良しのお友だちから久しぶりのラインが来た。

そこで近況なんかをやり取りしている最中に、朝活しよっかなと思ってるという話をしたら、そのお友だちも、今の自分には朝のエネルギーが必要と思っていたとのことで、一緒に始めることに。

 

じゃあせっかくだから、朝の空をSNSにポストしようよ、って話に。

 

そして、今朝。

昨晩は早起きするためにいつもより早く寝た。

いつもはだいたい深夜1時くらいの就寝。ああ、もうこんな時間、寝ないと!で寝る感じ。寝つきも悪く、夜中に何回も起きる。ここ2年ほど実は不眠症気味で、いろいろ調べてサプリを取ったり試してみたけど、うまくいったりいかなかったり。酷いときは眠いのに眠れなさ過ぎてノイローゼ気味になっていたこともあるくらい。(ここ最近は多少落ち着いてきたけれど。)

 

昨日も、夜10時に就寝なんて寝れるのか、と思いつつ、今朝のために、トライ。

ところがベッドに横になってすぐ寝れた(と思う、記憶がない)。

 

明日の朝早起きしないといけないという心理ゆえか、タイミングが良かったのか、いつものように夜中に何度も起きることもなく今朝はアラームが鳴る前に目が覚めた。

5:30起床。

6:00にまだ月が真上に見える、うっすらと明るくなりつつある朝の空の写真を撮り、インスタグラムのストーリーにあげる。

6:10夫が自分のヨガマットと、わたしのための瞑想マット(インドに住む友人が送ってくれたオーガニックコットンのマットで、最高に気持ちいい)を庭に出してくれて

何も言わなくても二人で瞑想スタート。

 

夫は座禅スタイル。わたしは仰向けに寝転がるのが好きなので、それで。

 

風で流れる雲、鳥の声、昆虫の飛ぶ影、チクチクとする芝生の感触。横に座る犬。

ただ、自分が地球の一部であることを感じるだけの時間。

余計な感情は抜いて、あるがままを感じる。

そうすると、ここにいられる、今、この時に感謝しかなくて。

少ししたら、上の娘が起きてきて、娘とぴったりハグしながら、とりとめのないことを

話す。

 

6:45シャワーを浴びると、思ったよりも体が冷えていることに気が付き、半身浴。

娘も入ってきて、2人でまた話しながら、身体を温める。

7:10お白湯をゆっくり飲む。

 

お白湯を飲みながらSNSを見ると、友だちも朝起きて、彼女の家の庭で瞑想していた。

そして、日本の友だちからも、朝活に参加するね、という嬉しいメッセージも来ていた。

外出自粛で、すぐ近くに住んでいるけれど会えない友だちも、日本とわたしの住む海外とで遠く離れたところに住んでいる友だちも、繋がっている感覚。

それが嬉しい。

 

しばらく夫は夫で仕事。わたしはブログを書いて、今。

もうすぐ下の娘のオンライン授業が始まるので、今日はここまでで。

初日、いいことしかないな。

 

気持ちのいい朝のはじまり。

全てに感謝。

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今朝の空。

 

 

母の日に思うこと。日本の母たち、すごい。

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(↑娘からのプレゼント)

 

今年の母の日は、なんだかいつもより感慨深い。

コロナによる外出自粛の日々の中で、わたし自身にいろいろな気付きがあって、

小さな幸せを大きく感じながら、大好きな人たちと笑い合える毎日が、本当にどれだけ幸せなのかを、日々再認識させてもらっている中で迎えたから。

 

ところで、、、時間もたくさんあるので、今まで思っていた母であることについて書いてみようかな。


我が家はシェフの仕事をしている夫が、今現在、仕事がずっと休みで家にいるから、毎日のご飯の支度を色々考えてやってくれるし、かなり楽させてもらってる。もちろん今だけでなく、普段から彼は育児にも家事にもとても協力的で、わたしのやりたいことも尊重してくれているし、わたしの周りの友達家族も夫婦でお互い協力しあって、育児も家事もしている…。シングルマザーの友達も、生き生きと恋もして、仕事もして、子育てもしている友達が多い。

それが『普通』の環境だからこそ、思うこと。

 

これは、もちろん極論は日本だけの話でもないんだけど、

でも日本って特に、ご飯の支度も掃除も洗濯も、育児すらも、『普通』は全て母親の仕事、みたいな意味わかんない『普通』が根強く残ってるというか、社会の風潮としてそういう流れがいまだにあると思う。

だから、日本の女性にとって、日本での生活はある意味とても大変だと思うし、

逆に言うと、日本のお母さんたちは、本当にスーパーウーマンが多い。


日本のお母さんたちが当たり前と思ってやってることって、当たり前じゃなくて、実は結構すごくて。

毎日の育児の合間に、

スーパーに買い物行って(しかも感情のコントロールできない小さい子抱えながら、大きな荷物抱えてとか当たり前)、

毎日栄養とか冷蔵庫の残りとかを考えた献立考えて、ごはん作って、お弁当作って、

毎日どこかしら散らかって汚れるお家を掃除して、掃除機かけて、

毎日出る家族みんなの洗濯物を洗濯して、

ご飯作った後は食器洗いして、その合間に子どもの学校の宿題のチェックしたり、寝かしつけたり、体調管理したり。

その他にも名前のない家事がいっぱい。それに加えて、仕事に行ってるお母さんもいる。
それなのに!外に出てやる社会的な仕事以外、お給料は一切発生しないーーーーー。

 

時代はどんどん変わり新しくなっていっているのに、古い時代の観念の『普通』の母親業をいまだに当たり前として求められたり、シングルマザーが肩身の狭い社会とか、ちょっとそっちのほうが『普通』じゃないよ、日本、と思う。(日本だけじゃないし、そうじゃない人たちもたくさんいるのも知ってますが、πの大きさの話で考えてね)

 

正直、わたしも日本にいた時は、なんだかこの国は男女平等じゃないし、住みにくいな日本、とか思ってたけど、まぁそれでも、『普通に』やってた、そういうこと。

そうすることが『普通』で、当たり前すぎて気が付かなかった。


そして海外に出て気がついた。

いや、これ『普通』じゃないわ。 
日本のお母さんレベルって、かなり凄い。ハイレベル。

 

まじで母親クオリティ高すぎる。
やばい!みんな、気がついていいよ!
わたしの友だち含め、みんなの『普通』レベル、すごいよ!

 

世界の母親レベルでの『普通』は、多分、
もっと、レイジーでもいいし、もっとゆるくてもいい。
もっと、協力してくれる人がいるのが当たり前だし、
もっとわがまま言ってもいいし、もっと求めてもいい。
もっと言えば、母親とはこういうもの、っていう縛りなんて、ピー(放送禁止用語)。

母だって、もっと自由でいいし、母でも夜遊びに行っていいし、母でも恋していい(もちろん、倫理に基づいて、よ。あと、言うべくもない事だけど、子どもにはきちんと向き合ってね。自分主体の子ども放置は論外)

 

楽しみながら、頑張りすぎずに頑張って、でも適当に力抜くところは抜いて、自分の感情にちゃんと向き合って、あとは惜しみない愛情をちゃんと子どもに伝えることができていたら、それでいいんじゃないかなって、わたしは思う。

 

というわけで、わたしはご飯を作りたくないときは外食したり、デリバリーしたり、

昼寝したい時は昼寝して、自分の仕事に集中したい時は、こどもたちや夫に遠慮なく協力を求め、もちろん、友だちと遊びにも行くし、生理前にイライラしているときは、ママはイライラしているので、触るな危険、距離を取ってくれとお願いするという、

日本の母親の『普通』からしたら、とってもいい加減な母親に分類されると思いますが、それでもこんなわたしを大好きって言ってくれるスーパーかわいい娘たちと、
そんなわたしのパートナーとして、共に歩んでくれる夫と、チームワークを組んでお互い譲り合いながら、助け合いながら、時々本気のケンカをしながら、今日も母をしております。

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(1時間の昼寝クーポン貰った。娘、よくわかってる。)

 

あと、スーパーハイクオリティなわたしのママと、スーパーファンキーな夫のお母さんにも、ありがとう。と思うわけです。
そんな母の日。


Happy Mothers Day to all of moms of this beautiful Mother Earth 🌍.
(Self isolation day 57.)

 

プラスチックの話

わたしの住む島は、世界的にも有名な観光地。ガイドブックには美しいビーチや緑多い自然の風景が載っています。

でも、住んでみて初めて分かったごみ問題。ガイドブックに掲載される美しい風景の裏側の風景はと言えば・・・

 

 

日本のようにごみ焼却施設がなく、でも毎日のように観光地(ホテル、レストラン)で消費される大量のゴミは埋め立てのために一部に集められ、風が吹くとゴミのにおいが風に乗って漂う。

もちろんごみの分別も一般家庭レベルでは全くと言っていいほどなく、様々な理由によるであろうポイ捨ても日常茶飯事。家からすぐのところにあるビーチはサンセットが有名でよく遊びに行くのですが、そこも季節の海流の流れによってはゴミだらけ。

ストロー、ペットボトル、お菓子の袋から歯ブラシ、歯磨き粉のチューブ、釣り糸、果ては注射器まで。

 

そんな中、娘たちの学校では、環境問題にかなり力をいれているので、親であるわたしもそこにフォーカスすることが必然的に多くなってきました。

日本にいたころは、分別するのが当たり前,あるいは分別しなくていいにしても、ここまでリアルな現実を毎日のように目の当たりにすることは少なく、ごみ問題なんて、たまのイベント(お花見の後の酷さとか・・公園でのバーベキュー後のゴミの片づけ問題とか??でもそれ以外では)あまり今のように気にしたことがなかったのが現実です。でも実際にごみが日常茶飯事で、普段の生活レベルで散乱しているのをこの目で見て経験すると、気になることがたくさん出てきて、できるだけ自分もごみを減らしたいと思うようになりました。

 

同じように島内でも実際にごみ問題に対する意識が少しづつ変わり、一斉ビーチクリーンなどが行われたり、去年からは政令でプラスチックストローとプラスチックバッグの配布(スーパーなどのビニール袋です)が一斉に禁止され、エコバッグを持っていくのが当たり前になり、それでも変わらない現実はあるのですが、少しづつ意識が変わっていっているように思います。

 

時々ビーチクリーンに参加したり、海に行ったら必ず、自分の歩いた道にあるごみは拾うというルールを決めている娘は、あまりのプラスチックストローの多さに、どうしても必要なとき以外はストローは要らないというようになりました。

 

そしてわたし個人が思うのが、日本の過剰包装。

日本からのお土産を頂いたとき、本当にありがたく嬉しいのですが、例えばお菓子の箱。外側の包装紙を破ると中に箱、そして緩衝材、例えばお菓子なら一つ一つの個別包装に、更に一つ一つの乾燥剤…。

丁寧で美しい、寸分の隙もない完璧なお土産ですが、他の国のお友だちからもらうお土産に比べ、正直日本からのおみやげが、一番ゴミが出るのです。

お土産を持ってきてくれる気持ちはとっても嬉しい。でも、同時に日本の過剰包装が悲しくなるのも事実。

 

日本に帰国し、買い物に行った時も、びっくりするほどの無駄なプラスチック(もちろんプラスチック以外も)が費やされているように感じます。お店ごとのショッピングバッグ、お店から家に持ち帰るためだけに使われる包装紙・・・。

スーパーなどではプラスチックバッグは有料サービスになったりしているようですが、ではコンビニは?それ以外のショップは???一つ一つの商品に使われている包装は・・・。

豊かで、便利で、きれいな日本に住んでいた時は気が付かなったこと。

もっともっと日本はゴミを減らせるんじゃないかということ。

もちろん、日本だけではなく、これは世界中全てに、そして自分自身にも言えることです。

 

我が家では、収集したゴミを焼却したり埋め立てたりするのではなく、リサイクル製品にしている会社にごみ収集を頼んでいます。そして、ラップもビーワックスで作られたエコラップにしたり、できるだけ無駄なプラスチック製品は買わないように、リユースできるものはリユースするなど、無駄を減らすようにしています。割りばしなども受け取りません。マイボトルをできるだけ持ち歩くようにしています。

それでもやはり完全にプラスチック製品を避ける、プラスチックごみを出さないようにするのは難しいので、偉そうなことは言えませんが、とりあえず、意識してやれることをやるのが大切かなと思っています。

 

コロナ自粛で、世界中の大気汚染が一時的に減ったというニュース。ごみの焼却に使うエネルギーもまたその原因の一つではあると思うので、既に世界的にはトップレベルの焼却施設を持っている日本の次なる目標は、ゴミ自体を減らす、だったらかっこいいな、と思いながらこれを書いています。

今日も空はきれいだった。風も気持ちよかった。

早くビーチに行きたいな。

もっときれいな地球になったら嬉しいな。

 

こんな素敵な取り組みをしている徳島県上勝町。

https://ideasforgood.jp/2019/01/26/tokushima-kamikatsu/

こういうのがもっと日本中に広がったらいいな。

 

 

 

 

大丈夫、なるようになる。

2012年、上の娘が4歳になりたて、下の娘が間もなく 2歳の時に、今住んでいる国に海外移住しました。

ただ、行く、と決めたわたしに夫が仕事を辞めてついてきてくれたので、

もちろん夫婦ともども次の仕事のあてもなく、住むところも決まっていない。

でも、とりあえず行けばなんとかなるはず、と日本の家、仕事を1年かけて片付け、

スーツケース1個とバックパック1個、

スポーツバッグ1個に家族4人分の荷物を詰められるだけ詰め込んで日本を発ちました。

 

最初の1か月だけ、いわゆるゲストハウスのようなところに泊まり(クーラーがないワンルーム。雨期だったので蒸し暑く、娘たちが夜暑い暑いと泣いたっけ・・・)電車やバスなどの公共交通機関がない島なので、まずは足がいる!とバイクを買い、そのバイクに4人乗りして、ローラー作戦でありとあらゆる路地に入っていって、現地の人に不審がられながら、住むところを探したのも今となってはいい思い出。

 

そして次に住んだところはサービスアパートメント。清掃、ベッドのシーツ交換などはやってくれ、共同プールもついていたけれど、ここもやはり家族4人で住むには十分な広さではなく、またもや次の家探し。ここで(普通に日本だとあり得ないけど)浴室のホットシャワーが漏電していて、シャワーを浴びようと蛇口をひねったら感電したのも今となってはいい思い出。

 

移住3か月目、ようやく予算内でいい感じのこぢんまりとした一軒家を見つけ、少しだけ落ち着くことができました。それでも、来たらなんとかなるかと思っていた夫の仕事は見つからず(就職活動もしてなかったから当たり前といえば当たり前)、

渡航の際にとりあえず1年これくらいでいけるかな?と持ってきたお金で家賃1年分、家具に電化製品一式揃えて、子どもの学費半年分に家族4人分のビザなどの滞在費をまとめて払ったら、あれ?3か月目だけど、これ、大丈夫?この残高であとどれくらい生活できる?と慌てたのも今となってはいい思い出。

 

移住4か月目。心許ない残高に、夫がとりあえず俺、日本帰って出稼ぎしてくるわ、と

季節労働をしに帰国。ファミリー向けの一軒家なだけに周りは現地人ばかりのローカルエリア。現地語もわからず、英語は読めて書けても、話すのはいまいちだったわたしと、4歳、2歳になったばかりの日本語すら怪しい娘2人と取り残され、

でもやるしかない、背に腹は代えられず自分の座るシートの前に子どもふたりを乗せて、スーツケースのバンドで3人まとめてくくり、バイク3人乗りして学校の送り迎えしたり、スーパーに行ったり。(バイクはもともと中型免許があるので乗れました)

ちなみに、こっちのガスはプロパンガスでボンベを交換して使うタイプ。20㎏以上あるガスボンベをバイクの前に積んで近くの商店で新しいものと交換してもらうんだけど、夫がいないので、どうにか一人でバイクの足元に積んで、両足で押さえながら交換しに行ったら、近所のみんなに、『Aki、それは女の人のやる仕事じゃないの、交換が必要なときは、誰かに言いなさい。』とまあまあびっくりされたけれど、自分的には、やればできるやん、と達成感を感じたのも今となってはいい思い出。

 

2~3ヵ月夫は日本で働き、1ヵ月こっちで遊ぶという生活。

夫がいない間の小さな子供2人抱えての、言葉が通じない国での母子3人暮らしは、次に夫がこっちに帰ってくるまでの日にちを毎日カレンダーに書いて、あと何日、あと何日と呪文のように繰り返しながらなんとか日々を過ごしていたことと、あとはなんとなくの断片しか記憶にないくらい精神的にも肉体的にもハードで夜1人で子どもの寝顔見ながらよく泣いていたのも今となってはいい思い出。

 

そういえば一回、娘の癇癪に耐えきれなくて(今は穏やかな長女ですが当時は泣きだしたら1時間でも2時間でも声を限りに泣き続けるのが普通でした)どうしても1人になりたくて、でもここは海外、そんなこともできず、でももうだめだ、ってなって、泣き叫ぶ子を家に残したまま、一人家の外に出て泣いたこともあったっけ。

隣人が出てきてくれて『Aki どうしたの』と聞かれ、『疲れた。』と一言だけしか言えなかったけど、察してくれて、子どもたちを預かってあげるから、一人でゆっくりしておいでって言ってくれたことはわたしの中の大切な思い出。(その彼女は今結婚してスイスで子育て中。今もずっと繋がっている大切な友達になりました)

 

そしてそんな生活が約1年半続き、ようやく慣れてきたころに、不思議な縁でつながった友だちの紹介で夫のこちらでの仕事が決まった。決まった時は、ああこれで家族4人でまたちゃんと一緒に住めるな、って安堵したのは本当に今もいい思い出。

 

今こうして、この外出自粛の機会にアウトプットしようと当時のことを思い返してみると、冗談抜きで大変だったけれど、でもあの時経験した全てのことは、今では本当にいい思い出になっているし、できる、なんとかなる、と思ってやってきた全てのことが、本当になんとかなってここまで来ているんだなあと改めて考えるきっかけになりました。

だから今、コロナによるロックダウンで、夫の職場が営業できず、夫はいわゆる一時解雇のような状況で、わたしの仕事も全面停止、我が家は現在収入がないけれど、焦りはなく、『大丈夫』『なるようになる』、と【すべてはなるようになることを知っている】という感覚がものすごくあって、不思議と落ち着いています。

むしろ、コロナ以前よりも、そういう感覚が研ぎ澄まされていく感じ。

 

この感覚を忘れないように、思ったことをどんどん書き残していこうと思います。

 

 

 

 

創る。

2020年。

突如として現れたコロナウイルスは、世界を変えた。

今まで暮らしていた、普通だと思っていた日々は、様変わりし、

今までの普通は普通でなくなった。

今までの思い込みを変えろ、生き方を、己の内側を変えろと、多くの人に迫った。

この騒動の中で、人としての本質がより一層はっきりと見えるようになった。

 

自分ではコントロールできない流れの渦の中に、否応なく放り込まれたとき、

わたしたちは意図せず、自分自身の内面と向き合うことになる。

自分の内側をのぞき込むことは、意外に簡単なようで難しい。自分の中の善悪、心の弱さ、本当の夢や希望。見たくないものが見えたり、見えてしまったことにより、今までの自分を捨てなければいけなくなるかもしれない。

 

でも、その時が来た。

2020年。

自分自身の深淵を覗きこむチャンスの時が再び来た。

大地に足をつけて、空を見上げる。大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。

そして、見つめる、その時。

 

1996年秋。生まれて初めて、文字通り胸に穴が開いたような喪失感と悲しみを知った。作り笑いの中に隠して、全てのわたしの外側で起こる現実を拒否した。

先が見えなくて、苦しくて、でも泣けなくて、外側で起こった納得できないことに対する納得できる理由を探し続けた。

自分の内側と初めて深く向き合うという経験をした。自分も他人も憎んだ。そして他人に救われもした。

それでもやはり答えは出なかった。ただ、自分を知ることは同時に癒しを求めるプロセスでもあり、少しづつ癒された。

 

2011年春。わたしはわたしの中から聞こえる声に従って、抑えきれない感情に身を任せた。あの時も、また自分の内側を覗いた。

そして自分自身の手に委ねられた2つの小さな命のために生き方を変えた。

その感情は、恐怖と不安。そして消せない小さな希望。

新たな暮らしに戸惑いと不安と、小さな喜びとを抱え、日々を過ごした。

 

3年ほど前から、またわたしの中で、少しづつ声が聞こえ始めた。

本当の自分はどこ?何をしたくて、何がしたくないのか。何度も何度もそれは

わたしに問いかける。

わたしは少しづつ、本当に少しづつ、その声に一歩づつ近づいていった。

 

わたしはわたしを探し始めた。

わたしの外側の世界を整理し、片づけていく作業の中で、少しづつ自分の

内側にもまた目を向け始めた。

だけど、自分の内側をのぞき込むことは、やはり怖くて

なにかが見えそうになった時に、日々の暮らしの中で流してしまったり、

普通は、という言葉で自分の感情に蓋をしたりもした。

 

本当は、見えつつあるのに、見て見ぬふり。

見て見ぬふりの、自分の、こころ。

 

そして、今。

その時が来た。その時が来たよと、わたしがわたしに教えてくれている。

わたしは、どういうわたしで在りたいか。

わたしは、どういうわたしを創っていくのか。

裏と表、善悪、光と影、全てを内包した本当のわたし。

 

奥の、その更に奥。わたしの、本質。本音。ありかた。

今、奇しくも与えられたこの時間で、見えてきたもの。

わたしはわたしの外側に在るものや出来事にコントロールされたりせずに生きる。

見ないのではなく、外側の世界の地に足をつけて、やりたいことをやる。

そしてまた、内側の変化によって、外側の世界がどのように変わっていくのかを

身をもって体験したい。体験する。

 

内なる自分を知り、その願いをかなえる。

21歳のわたしも、35歳のわたしも、全て今のわたしに繋がっていた。

自分自身を知り創造するために、生きてきた。

誰のせいでもなく、誰のものでもない、わたしの人生。

 

わたしはわたしを創造する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの日々

日本を出て8年。

住んでいるところが所謂、世界的観光地なので、ある意味で世界の縮図的な

感じがあります。ありとあらゆる国の人たちが住んでいます。

富裕層も貧困層も、仏教もイスラム教も、ヒンドゥ教もカトリックもクリスチャンも、

無神論者も、います。肌の色、目の色、いろんな色の人がいて、言語もさまざま。

50円くらいで食べられる食事を提供する場所も、一食何万円もするレストランも半径10メートル以内に隣接しあったりもしています。

 

わたし。

手で食べるバナナの葉っぱでくるんだご飯も、ドレスアップして行くレストランのご飯も、どっちも美味しいし、楽しい。

違う国の友だちと、お互いの国の話をしたり聞いたり。

いろんな宗教の人たちに、その宗教の考え方や行事のことを聞いて、びっくりしたり感心したり。

 

だらだらしたり、頑張らなくちゃと思ったり、

その日その日の感情で、ダメなときはとことん力抜いて、

テンション上がっているときに、集中してあれこれする。

そんな毎日を送っています。